日本遺産:忍者発祥の地、 伊賀・甲賀-リアル忍者を求めて-

2021/03/05
2021/03/29
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リアル忍者を求めて

各地の大名に仕え、敵情を探り、奇襲戦にと戦国の影で活躍した忍者たち。今やテレビやアニメを通じて海外にまで広く知れ渡り、奇抜なアクションで人々を魅了しています。しかし忍者の名は広く知られていても、今日なお謎に満ちており、真の姿を知る人はごく僅か。

そんな忍者の真の姿を垣間見ることができるのが、「伊賀(三重県伊賀市)」と「甲賀(滋賀県甲賀市)」。忍者の発祥地として知られ、その代表格とされてきた地域です。伊賀・甲賀は2017年に日本遺産(※)に登録されており、この地域に点在する忍者に纏わる文化遺産が、ひとつのストーリーで繋がっています。忍びの里に残る数々の足跡を訪ねれば、リアルな忍者の姿が浮かび上がることでしょう。

※日本遺産:日本の文化や伝統を語るストーリーを文化庁が認定するもので、地域にある魅力的な歴史遺産の活用を通じて、観光振興や地域活性化に役立てようとする制度。

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忍者の起源と発祥の地、伊賀地方と甲賀地方

海外に忍者の存在が知られたのは、17世紀初頭にイエズス会が編纂した「日葡辞書(にっぽじしょ)」がきっかけと言われています。本の中で、忍者は「Xinobi」(シノビ)として記載され、「戦争の際に、状況を探るために、夜、または、こっそりと隠れて城内へよじ上ったり陣営内に入ったりする間諜」として紹介されています。

そんな忍者は、日本国内ではどのような場所を拠点として発展していったのでしょうか。忍者の発祥の地として名を馳せたのが、「三重県 伊賀地方」と「滋賀県 甲賀地方」です。江戸時代の地誌「近江輿地志略(おうみよちしりゃく)」には、「忍者(しのびのもの)伊賀甲賀と号し忍者という」とあり、忍者は「伊賀、甲賀の者」が代表格とされてきました。

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伊賀・甲賀地方が忍者の地として発展した理由は、大きく3つ挙げられます。

  1. 京都や奈良などにも程近いことから情報が入りやすかった
  2. 東に鈴鹿山脈、西に笠置山地(かさぎさんち)に囲まれた山間の地は、時の権力者の恰好の亡命地であった
  3. さらに、大和街道や東海道が通る東西交通の要衝、そして軍事的にも重要な地域でもあった

つまり、時代の要となる都市が近く、亡命の地であり、東西を結ぶ交通のインフラになっていた。これらの環境要因が重なったことが、この地で忍者が生まれ、発展していく大きな理由と言われています。

忍者の里を歩くと、奇妙な風景に包まれます。小高い丘陵に囲まれた風景が行けども行けども続き、迷路のような奥地に誘い込まれていくような感覚です。

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上空から見ると細かく枝分れしたような複雑な谷地形が広がっている。

迷路のような落ちの中でも、見晴らしのよい丘陵の先端や谷の入口には必ずといっていいほど城跡があります。侵入者は谷の両側から攻撃を仕掛けられると、袋のねずみのように退路を遮れたと言います。守りが堅く、攻め難い、これが忍者の里の大きな特徴だったのです。
城といっても城の周りに石垣はなく、土を盛り上げ一辺約50m程の土塁で四方を囲んだ館タイプの城館で、土塁の高さは優に5mを越えていました。そしてその城の数は伊賀、甲賀合わせて800箇所にも及び、日本有数の城館密集地帯となっていました。この地域では城の形状を今でも感じることができます。

また城が建っていたエリアも、木々が生い茂り、かなり見通しが悪く、隠れ家と呼ぶにふさわしい環境だったことがわかります。さらに、城壁が土を盛っただけと言えども、その土塁の高さはかなりの高さがあったことを物語っています。

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忍者一族のルーツ

忍者の先祖は、元々は農民だったと言われています。複雑に入り組んだ地形の伊賀・甲賀は川の氾濫の恐れがあるため、生活できる場所はごくわずか。限られた土地の奪い合いから抗争が始まってしまうので、集落同士で戦うために武器を持ちました。

また、地域として盆地が多かったため、山というのは「お米をつくる土地」であり、「燃料」であり、「武器の材料がある場所」であり、「食料や薬草が採れる場所」でもありました。そういった貴重な資源を奪い合う形で抗争が発生してました。これが忍者のルーツとなる武装した農民の誕生と言われています。

ただし、武装した農民がメインと言っても、この時期の職業は多様性に満ちていました。
もともと侍だった人もいれば、農民もいれば、山伏といった修験者もいました。山伏の中にもきこりや、薬学に通じているものなど様々。

そして、侍の中でも、土地を持っている上級の侍もいれば、持っていない人もいる。農民の中でも武器を持って足軽として戦う人もいるなど、一言でその職業を言い得ることが難しい状態でした。

このように小さな村のような集落の中に多様な職業が育まれ、その小さな集落同士が抗争を続けていたため、そういった抗争の中で、諜報術やゲリラ戦(夜襲)などの技術も磨かれていき、これが忍者の基礎になったと言われています。

忍者組織の運営

伊賀も甲賀も、それぞれ共同体を形成していました。小さな集落同士が抗争をあちこちで続けていたため、最初は大きな権力者というのは生まれにくい環境でした。しかしその中で、伊賀忍者には「上忍三家」と呼ばれる3つの有力家系が生まれ、意思決定は彼らの意向が大きく反映されるようになったと言われています。上忍三家とは、服部(はっとり)家、百地(ももち)家、藤林(ふじばやし)家の3家を指します。

伊賀・甲賀は、普段はそれぞれの集落が小競り合いを続けながらも、地域全体の危機に貧したときは、それぞれの集落が手を取り合い、守るために戦いました。

実際、伊賀にある上野城跡には、かつては「平楽寺」と呼ばれる寺院があり、その場所は織田信長の侵攻時に、伊賀衆の評定軍議が行われた場所でした。

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上野城跡

では、甲賀忍者の組織運営はどのようなものだったのでしょうか?甲賀忍者も「惣(そう)」と呼ばれる共同体を作り、運営されていました。しかし、そこに参加する人の立場は基本対等であったと言われています。例えば、里として意思決定を行う時も、多数決やクジにより意思決定を行っており、民主主義的でした。これは、小さな集落がたくさん集まって甲賀衆が形成されていた中で、伊賀のように特定の家系が勢力を強めることもなかったからと言われています。

この平等な環境は、逆に言えば、集落の中では突出したものを許さない風潮がありました。そのため、集落の外に出ていく時は、名を上げようと個人の名前を使い、集落に戻ってくると、目立たないように、あくまで村人の一人として一族の名前を名乗る、といった行動をする村人もいました。

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大鳥神社は寄り合いが行われた場所の一つ

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油日神社は、甲賀衆たちが崇敬した甲賀の総社で、聖徳太子を軍神として崇めていた

忍者の知識や技術の培われ方

忍者たちは、様々な技術・知識を用いて、戦に臨み、その名を轟かせてきました。では、その技術や知識はどのように培われてきたのでしょうか。忍者といえども、平時は農耕に勤しむ農民でした。伊賀の菊岡如幻(きくおかにょげん)による「伊乱記(いらんき)」によれば「午前中は家業に精励し、午後には寺に集まって軍術、兵道の稽古をした」とあります。しかし、いざ戦となれば村に鐘が鳴り響き、お百姓さんからお坊さんに至るまで、それぞれ得意の武器を持って立ち上がれと「掟」では定めており、村人たちが総動員で戦いました。

掟の例
・敵が攻めてきたときは、従軍すること
・守りやすいところをそれぞれ守りなさい
・長期戦になった場合は、交代要員を用意すること
・戦えない村人や、年寄りは、必勝祈願をすること

また、集落には農民以外にも木こりや山伏を生業とする者があり、山伏は厳しい修行を積む一方、薬草の知識を身に付け、諸国を巡ることで情報に通じていました。この時代は様々な職業がいたので、戦になった際には、その知識や技術を集約させて戦いました。これは、現代の戦争でも科学技術などを集約して戦うことを考えると、実はその戦い方の根本は変わっていないとも捉えることができるかもしれません。

伊賀や甲賀の忍者の祖先は、修験道の行者(山伏)から様々な事を学んだと言われています。この時代に山伏は当たり前のように日常に存在しました。技術修行、精神修行をする山伏の中でも、「情報収集に長けている者」「地形を把握するのが得意な者」「木を切る」「木から木へ飛び移る」「火を使う」「薬草の知識」などそれぞれ様々な得意分野がありました。そういった山で生き抜いた日々の暮らしの知恵、知識、技術を、侍や農民が忍者として生きるための技として活かされていったのです。

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修行場の一つである、飯道山(はんどうざん)

ただしここで大事なことは、山伏は宗教者として修行を重ねていたのに対し、忍者が修行をしていたのは軍事目的です。伊賀衆、甲賀衆として他国へ戦働き=傭兵として活躍するために使われました。こういう経緯を考えると、忍者の成り立ちには、山岳宗教が密接に関わっていた、とも考えることができます。

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現在でも山岳修行を案内する行者が活動している

終わりに

忍者は日本各地に実在しており、それぞれの地域でその歴史や物語を伝えているところもあります。伊賀・甲賀は地方は、このエリアにある忍者に纏わる文化遺産が一つに繋がっており、資料館で歴史を学んだり、実際に活動した地域を歩いたり、忍者の技を体験したりと、より深く忍者について学ぶことができ、真実の姿が浮かび上がてくることでしょう。

こちらのツアーでは、滋賀県の甲賀忍者屋敷を訪れ、甲賀忍者の歴史や生活について学ぶことができます。忍者の真の姿を体験するとともに、ぜひ実際に訪れて見てはいかがでしょうか。

ツアーに参加してみる:

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滋賀県甲賀市 甲賀忍者と信楽焼の陶芸工房見学ツアー

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日本遺産公式サイト:
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